社長ブログ202608 「愛社精神」
「愛社精神」という言葉もすっかり聞かなくなりました。昭和の遺物みたいな死語というか、あるいは「社畜」とかと同じカテゴリーの単語になった感がありますね。
でも、よく考えてみると愛社精神を持つということは、概念としては魅力的です。自分が「好き」と思える組織で働けるわけですから、嫌いな組織で働くより精神衛生上ずっといいはずですよね。それに、一緒に働くなら、同じものを好きな人と働きたいものです。
実際、社員がみんな愛社精神をもって働いてくれれば、無用なトラブルや離職も減り、生産性も上がって仕事がとてもやりやすくなるはずで、良い会社になるために欠かせない条件と言えるのではないでしょうか。会社に限らず組織の長にとっては、メンバーに組織を好きになってもらうということはとても大切な仕事であり、役割だと思います。
私は愛社精神について考える時、一つの言葉を指針にしています。15世紀から16世紀にかけて、ルネサンス期のフィレンツェで活躍した官僚であり、思想家であるニコロ・マキアヴェッリの言葉です。
「人間というものは、自分を守ってくれなかったり誤りを質す力もない者に対し忠誠であることはできない。」
一見大したことを言ってないような気もしますが「守る」「誤りを質す」という見慣れない組み合わせが等価に語られている所が面白いですね。
「守る」というのは、生活や命を守るということでしょう。「たくさんの報酬をくれる」ではなく、長期的な人生の安全を保障してくれる、という意味だと私は捉えています。いくら給与や労働条件が良くても、業績が悪くなったり、その人が病気やケガや家庭の事情で、会社にとって都合のいい人材でなくなった時にあっさりと切り捨ててしまうような会社に人は忠実になれない、好きになれないということだと思っています。
「誤りを質す」というのは、筋を通すということだと思っています。組織として決めたルールを守る、ということですね。例えば、社内でハラスメントの事案が起こった時に、建前では「わが社はハラスメントを許しません」と言っておきながら、生産性や組織の維持を優先して、なあなあで済ませてしまったり、よく聞く話です。「言ってることとやってることが違う」と感じたときに、やはり人はその組織に忠実であったり、好きになったりできないということでしょう。
やはり、愛社精神というものは、持たせようとするものではなく、愛社精神を持ってもらえるような会社になることが必要だと思います。

